田部竹下酒造

History

 広大な山林を保有し、吉田の産業城下町を中心に多様な事業を展開していた田部家。酒造りもその一つで、嘉永元年(1828年)には雲南市吉田町で396石(※1石:約180ℓ)、松江市白潟町(現白潟本町周辺)で360石の酒造高を誇っていた。

 庄屋を務めていた竹下家が田部家から酒造の権利を譲り受け、屋号を「宮中屋」と称し醸造を始めたのは慶応二年(1866年)。以降150年にわたって酒造りを営んでいた。2022年10月31日に酒の販売を終了。同年11月1日に田部家に事業を譲渡し、「株式会社田部竹下酒造」創設。25代当主・田部長右衛門蔵元があらたに濱崎良太杜氏を迎え、酒造りを開始した。

 同年11月7日に仕込みを始め、2023年1月に新たな酒「奥出雲前綿屋試験醸造」を発表。ファーストリリースは901号酵母を用いたもの。同月末に1801号酵母、3月に1001号酵母、そして4月に1701号酵母を蔵出しした。

田部家

島根県雲南市吉田町を拠点としたたたら製鉄を家業とし、現在はメディア運営や林業など多様な事業を行う

1246年 後裔田辺安西入道が紀州熊野吉田村に入部
1460年 田辺彦左衛門(鉄山元祖)がたたらを始める
戦国時代 戦乱のため製鉄を休止
江戸時代
前期
吉田へ戻り製鉄を再興する。
9代安右衛門の頃、松江藩より屋号「前綿屋」を賜り田辺を田部に改める
1755年 12代長右衛門が松江藩の鉄師頭取に任命される
1866年 傘下の庄屋だった竹下家に日本酒の醸造を譲渡
1923年 たたら操業から引き上げ、林業や木炭生産等へシフト
1941年 島根新聞社(現山陰中央新報社)を設立
1969年 島根放送株式会社(現山陰中央テレビジョン放送株式会社)を設立
不動産、合板製造、印刷、養鶏、飲食業等の事業をグループで展開
2021年 株式会社たなべたたらの里設立
2022年 株式会社田部竹下酒造設立

竹下家

島根県雲南市掛合町で300年続く旧家。田部家傘下で庄屋を務めた

1866年 6代目理八が日本酒の醸造業を始める
1897年 酒蔵を建造
「出雲誉」「出雲大衆」「都の西北」などの日本酒を生産
1942年 23代田部長右衛門と交流のあった当主・竹下勇造が島根県会議員に選出
1955年 「竹下酒造有限会社」に組織変更
1987年 竹下登が第74代内閣総理大臣に就任する
2022年 酒の販売を終了